三浦綾子文学記念館/旭川外国樹種見本林

はてさて、美瑛からチャリで国道237号線を通って旭川に帰ってきたわけですが、 実は昨日行った三浦綾子文学記念館に再訪したかったのであります。 っていうのは、昨日書いた通り、 前回来たときにあったはずの資料(「氷点」などの自筆原稿コピー)が見当たらず、 しかも昨日は学芸員の方がいらっしゃらないということで、分かる人がいなかったためです。

で、時間はすでに14:40過ぎ。一度ホテルに戻って荷物を置いて着替えてこようと思ったのですが、 仕方がない、レーパンの上にバックパックに入れていたジーンズを履いて、 さらに一枚上着を羽織って一応なんとか普通っぽい格好になりました。 靴はSPDシューズのままでしたが…(笑)。

てなことで、見本林の入り口にある記念館にやってきました。 ただいま14:43。閉館時間まではまだ2時間15分ほどあります。 もっと時間が欲しいところだけれどもね、それほど長い滞在ではないので仕方がない。

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ということで、受付で昨日の事情を話したら、学芸員の方を呼んでいただけて、 さらに入場料はなしで入れてもらいました。どうもありがとうございます。

で、件の資料は、前回展示を入れ替えた時に書棚からは外してしまったということで、 実はさりげない場所にあった棚の中にぎっしりとしまわれていました。 「氷点」の原稿は2種類あり、一つは下書きに近い感じの原稿380枚。 もう一つは朝日新聞掲載版のもの。 どちらも、原稿用紙には非常に多くの書き直した跡があり、 「創作の過程」の雰囲気を味わうことが出来ます。

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下書きに近い感じの原稿の位置づけがよくわからないのですが、 全380枚で、実際には完結せずに終わっています。 そして、ざっと目を通してみたのですが、 後半に行くにしたがって、かなり現在のストーリーと違った方向に向かっています。

最初の時点から気づく大きな違いは、 まずは時代が戦中から始まっていること(現在の版は戦後まもない占領時代から始まる)。

そして一部主要登場人物の名前が違うこと。 「辻口ルリ子」がこの版では「辻口マリ子」、「村井靖夫」が「木村信夫」、「佐石土雄」が「元木晴夫」などとなっている。 これは、以前の展示物にもあった、 ストーリー設計図みたいなものでも確認出来ていたので驚きではないが、 そういえばあの設計図も今回は展示されていなかったなぁ…。

「辻口マリ子」を殺した犯人「元木晴夫」の妻は、娘を残して亡くなっていたのではなく生きている。 夫の犯行を知った妻は夫を殺し、そして自らも自殺した結果、娘が孤児として残される。

戦中という時代に合わせて、「木村信夫」は結核ではなく、軍の召集で旭川を離れる。

そして、現在のストーリーにはないテニスのシーン。 妙に今の版と比べて、徹と陽子の距離が近い…など、 どんどん今の版とイメージが離れて行くなぁ、とおもったら唐突に380枚で終わっていると、 そういう謎の原稿でした。どういう位置付けの原稿なのでしょうね?

実は朝日新聞掲載版も、今の版とは微妙に違う場所があった気がするのですが (そしてこちらも、数多くの試行錯誤が原稿用紙に残っている)、 そちらは2時間ではとても読む時間がなく、また旭川に来た時の楽しみに取っておくこととしましょう。

ということで、記念館はそろそろ閉館の時間。 外に出ると、この小説の舞台でもある外国樹種見本林があります。 ここもニコンF3で銀塩写真でも撮ってみました。

ここは2004年の台風18号により大被害を蒙ったそうですが、 「外国樹種見本林復活の集い 二〇〇六」というのはそれに関係したものでしょうかね?

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確かに2001年の夏にここに来た時より、 ずっと樹が寂しくなっていますね。

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こんな広い空間は以前なかったような…。少しずつ、復活していけたらいいですね。

美瑛川の方にやってきました。

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この向こうにゆっくりと流れているのが美瑛川です。

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ちょっと木々が寂しくなった見本林ですが、なんとか復活して欲しいですね。

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夕日に照らされて、きれいです。

台風の被害、すごかったんですね…。

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美瑛川の堤防をもう一度越えて、記念館の方に戻ります。

ということで、ホテルには17:30ごろに到着しました。 本日の走行距離、69.5kmでした。

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ちょいとホテルで一休みです。続く。