末吉宮の続きです。 写真は引き続き、ニコンF3による銀塩写真、フィルムはフジ・プレスト400です。
末吉宮の周囲には、先ほどのすぐ横の御嶽だけではなく、 多数の拝所が密集しています。 ここは琉球八社の他のほとんどの神社と同様、 元は神社ではなく、琉球の神を祀る聖地だったのでしょう。
琉球王国の時代に日本から伝わった神道とオーバーラップされ、 琉球の神々と合祀される形で神社となったものと思われます。
先ほどの、末吉宮社殿横の御嶽から少し右奥に入った場所に、 「子ぬ方」と書かれた案内がありました。 ここには、巨石から垂れ下がる素晴らしいガジュマルの樹の姿が残っています。
琉球八社と呼ばれる、末吉宮、識名宮、波上宮、天久宮、沖宮、安里八幡宮、普天満宮、 金武宮のうち、安里八幡宮を除く全ての神社に、 熊野の神が祀られていることも偶然ではないと思います。 熊野は、日本の著名な神道の聖地の中で最もプリミティブな、 「原始宗教としての神道」を色濃く残す聖地だと思いますが、 まさに巨石、樹木、水に対する信仰を深く感じさせるのが沖縄の神社なのです。
そのさらに右奥に入ると下り坂になっており、 倒木でふさがれていました。おそらく、儀保の方に通じているもう一つの山道だと思われます。 写真右も巨石です。
先ほどの場所に戻ってきました。 この写真右奥の、先ほどガジュマルの樹が大量に伐採されていた奥に、 小さな階段が上の方に続いています。
巨石の間を抜けるように作られた階段。その先に、2つの巨石の間を渡された小さな橋があります。
橋を渡ると、その先にまた「子ぬ方入口」と書かれた場所があります。 「子ぬ方」(にぬふぁ)とは文字通り「北の方角」という意味で、 首里から見てこの場所が北の方角にあったことから、このように言われるようになったそうです。
このあたりは、二つ、もしくは裂け目の入った一つの大きな巨石の上に位置しているようです。 先ほどの、下の方にあった「子ぬ方」という案内の場所のガジュマルの樹は、 おそらくこの巨石の上から根を垂らしているのだと思われます。 そして、先ほどの場所の奥にあるのが「子ぬ方」です。
何もありません。 岡本太郎が「沖縄文化論」でも述べていた、 「何もない」聖地がここにあります。 おそらく、あの立派な社殿ではなく、この場所こそが末吉宮の中心なのではないかと思います。 琉球王国の重要な聖地であったにもかかわらず、本当に何もありません。
沖縄の方言が日本の古語を残しているように、 沖縄の神社には日本の神道の原型が残っているのではないかと、そんなことを思ったりします。 素晴らしい、聖なる場所です。
巨岩の裂け目に渡された小さな橋をもう一度渡って、社殿の方に戻りました。
末吉宮磴道を下ります。この道の周囲にもいくつもの拝所があります。 また、先ほど倒木でふさがれていた道も、おそらく別のルートに出る道に繋がっているのでしょう。
そして、参道を儀保の方に歩きます。この参道が果てる場所は、ゆいレールの儀保駅から徒歩2,3分くらいの場所です。
この先は、日常空間です。続く。












