2004 年 11 月 23 日 (火・勤労感謝の日) 那覇

さて、国道 58 号沿いにある、那覇商工会議所前にやってきました。 ここには孔子像があります。 かつてここには孔子廟があったことが、孔子廟・明倫堂跡の碑で分かります。 なぜここに孔子廟があったかというと、ここは昔の久米村、 那覇のチャイナタウンであったからです。 朝貢貿易の周辺で活躍した華僑たちがここに住んでいました。

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さて、先日から「現在の対応する場所」を探索中の葛飾北斎『琉球八景』のうち、 『泉崎夜月』は、 かつて孔子廟の前にあった旧泉崎橋を描いたものとされています。

琉球八景『泉崎夜月』

さて、旧泉崎橋の写真を探していたのですが、やっと発見しました (那覇出版社『写真集 沖縄』より)。 これが大正時代の旧泉崎橋です。 おそらく右が孔子廟ですね。中国の様式を感じさせる美しい石橋です。

旧泉崎橋

旧孔子廟の前が旧泉崎橋ということで、 58 号のこの辺りが旧泉崎橋かな…と思って写真を撮ってみたのですが…。

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先日から何度か試みている大正 8 年の 25000 分の 1 の地図の現在の地図とのオーバーラップで調べてみると、 どうもちょっと 58 号よりも現在の久茂地川の位置に近いように見えます。 孔子廟の半分は現在の国道 58 号に重なっており、 久茂地川の位置は、偶然今とあまり変わらない位置にあるように見えます。

旧泉崎橋の場所

てなわけで、旧泉崎橋はこの写真の左側…。

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現在の泉崎橋横の歩道橋上から撮ったこの写真では、 画面の右端に写っている久茂地川の辺りが、 丁度旧泉崎橋の場所であったと思われます。 今度もっとピッタリと浮世絵と同じアングルから写真を撮ってきましょう。

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「地味な史跡めぐり再び(3):長虹堤『長虹秋霽』」に続く。


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