2004 年 7 月 26 日 (月) 那覇

『地味な史跡めぐり(2):長虹堤『長虹秋霽』[3/3]』からの続きです

三重城 〜那覇を守る台場から望郷の場所へ〜

葛飾北斎『琉球八景』から次に取り上げる絵は『臨海潮聲』。 これは三重城 (みえぐすく) という小さな城を描いたものです。 三重城は倭冦などから那覇港を守るため、 防衛拠点の砲台として築かれたものです。 つまりは東京の台場のような場所ですね。

臨海潮聲

三重城は現在でも地名として残っている上にバスの営業所 (三重城営業所) もあり、 長虹堤よりは探すことがはるかに容易です。 前出の「那覇読史地図」にも北斎の絵とさほど変らない姿で残っています。 しかし一方、この地図から現在の那覇港を想像することは困難です。

対岸にある屋良座森城 (やらざもりぐすく) より新しく出来たため、 新城 (みぃぐすく) と呼ばれ、これが転じて三重城と呼ばれるようになったという説と、 三つの橋で那覇と繋がっていたので、 三重城と呼ばれるようになったという説があるようです。 意外に、読みは前者、漢字は後者が語源かも知れません。

そのほかにもこの近辺には、冊封使をもてなす迎恩亭や、 海に浮かぶ寺である臨海寺、 貿易物品を収納するための御物城 (おものぐすく) などがありました。

三重城を結ぶ橋の消滅

三重城は早いうちに周囲が埋め立てられ、 早々に橋は消滅してしまいました。 大正時代の地図でも、既に橋は埋め立てられてしまっています。

大正時代の三重城と屋良座森城

この時代も屋良座森城は一応、橋で繋がっていますが、 後に屋良座森城は周囲が埋め立てられただけではなく、 現在では米軍の那覇軍港内でただの更地になっています (泣)。 先述の「沖繩縣人物風景寫眞帖」(1930年) に、 未だ橋で繋がった島の状態の屋良座森城の写真と思われるものを見つけたので、 これでかつての三重城の姿も想像してみてください。

この写真ですが、その後の調査で屋良座森城ではなく、 やはり三重城であるという可能性が高くなってきました。 なぜかというと、 (1) 他の資料で発見した昭和初期の屋良座森城から三重城を望む写真には、 三重城の上にこの写真と全く同じ建物が立っている、 (2) その写真における三重城の写真とは、潮位の差を考慮すると形が酷似している、 (3) 屋良座森城の上に建物が経っている写真は一枚も発見できていない、 という 3 つの理由で判断しました (新しく入手した資料は『写真集 沖縄』那覇出版社)。 ただし橋の部分は全く違った形となっているため、 この写真はおそらく、三重城への橋が埋めたてられる以前の、 明治後期の古い写真と思われます。(2004/09/07 追記)

昭和初期と想われる屋良座森城

ちなみに、現在の御物城の写真はこの時撮らなかったのですが、 実は往路に那覇に一泊寄ったときに、明治橋から偶然写真を撮っていました。 これです。 左端に写っているアンテナの立った場所がかつての御物城です。 現在でも辛うじて形は残っていますが、かつての島ではなく現在は地続きです。 また、米軍那覇軍港内なので、入ることはできません。

「沖繩縣人物風景寫眞帖」には、 垣花方面の高台から御物城を中心にして撮った写真もありました。

御物城から奥武山

この時代は既に御物城は島ではなくなり、奥武山から地続きになっています。 この後、奥武山も垣花側と地続きになり、 前方の海は消滅して奥武山運動公園になっています。 現在の御物城を中心にした地図はこちらです。

現在の三重城へ

さて、タクシーで波の上付近にやってきました。 本当は「だるまそば」のそばを食べたかったんだけど、 飛行機の時間が近いのでまた今度ね (涙)。 ちなみにこの辺り、上の地図では「西の海」の中のはずです。 (今の位置は地図でこの辺)。

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うん、地図にも「三重城」は載ってますね。歩きましょう。

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えーっと、こっちかな?

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おっと、でっかなホテルが! しかしこの辺のはずだな…。

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あった! ホテルの奥に「史跡 三重城」の看板が。 後ろに石垣が見えていますが当時の物かどうかは不明です。 ここが三重城のようです。

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拝所のようになっています。 沖縄の城は拝所になっている例が多いですが、 ここもそのようです。 三重城は先述の通り、那覇港の出口に位置しています。 現在のように飛行機が交通手段ではなく、 島外への交通手段がすべて船であった時代には、 ここを通って人は沖縄に来て、ここを通って出ていきました。 そのため、離島出身者が故郷を拝む場所としても定着したようです。

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階段を上り、三重城の中に入りました。

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海を望む、小さな祠があります。 この海の向こうにある故郷を想う場所なのでしょう。

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後ろを振り返ります。

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三重城から見る海。

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それにしても、回りにいろいろなものが出来てしまったのですね…。

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おそらく、この写真の中心付近がかつて屋良座森城でした。 完全にコンクリートに固められた更地状の状態になっています。

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先ほどの屋良座森城の古い写真は、上の写真の反対側から撮った物です。 かつて存在した台場の姿を想像できる活気ある姿です (そういえば、東京の台場もいくつも消滅しているんですよね…)。

先述の通り、この写真は三重城自体である可能性が高くなりました。 したがってこの記述は意味がないですね。(2004/09/07 追記)

屋良座森城

対岸の米軍施設の向こうには、現在の那覇空港の建物が見えています。 沖縄への、そして沖縄からの人の流れが通る門はあちらに移りましたが、 それでも三重城は沖縄の入り口を見守っているのですね…。

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もう一度、屋良座森城の方向を広角で一枚。

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外から三重城を眺める

さて、外からこの城を眺めてみましょう。

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この辺の海岸は「三重城ふるさと海岸」という名前で整備されているようです。

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そこから三重城、そしてその向こうに確かに存在した屋良座森城を望みます。

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そろそろ時間です。あと 1 時間で飛行機が出ます。空港に急ぎましょう。

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この駐車場辺りが、三重城への橋だったのでしょうね…。

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ということで、タクシーを捕まえて、空港へ一直線! 相変わらずやや道路は渋滞気味。 まあ、たったの 2 時間の那覇巡りとはいえ、なかなか内容が濃かったなぁ〜。


『地味な史跡めぐり(番外):落ち穂拾い』に続く。


参考文献


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