Bernauer Straßeの「壁」(3)
タイムゾーン: +2H 日本との時差: -7H
「壁資料館」に入ってみました。
かつてのベルリンの壁における犠牲者のリスト。
よく見ると、5歳の子供が2人もいる。 自分の意志で壁を越えようとしたはずがないし…同じ苗字の人はリストにはない…。
この記念館周囲のかつての姿を再現したジオラマ。 赤い丸がついた建物がこの建物の場所。
この写真にも赤丸が写っている。 先ほどあった広大な空き地は、 この駅の跡地です。
この建物の前を、こういう風に壁は走っていたのね。
一番手前の左端にあるのが「和解教会」。 警備の邪魔になっていたため、1985年、つまりベルリンの壁崩壊のわずか4年前に、 無惨にも爆破解体されました。
ベルリンの町中を走る2枚の壁。
ここは、先ほどSバーン出口から歩いてきた道ですね。
手前の駅の跡は東ベルリン、壁の向こうは西ベルリンでした。
さて、かつての壁東側にあった警備用の通路を歩きます。 今は壁専門のガイドがあったりします。
この向こう側に見えてくるのが…。
再建された和解教会です。 破壊と再建の写真がこちらにありました。 壁と同じコンクリートではなく、木と粘土を使って再建されたそうです。
ニコンF3による銀塩写真。写真は撮りませんでしたが、中も素敵な場所でした。
この教会の前に作られた「和解」の像。 かつての警備用通路の横に作られています。
さらにBernauer Straßeを東に歩きます。 壁の裏側にあった「デス・ストリップ」というリボン状の空き地は、 このあたりでは現在でもその多くが空き地として残っており、 警備用の通路が生活道路として使われていたりします。
壁の跡を示す歩道上の印。
しかし、一部の「デス・ストリップ」の跡には、 このように新しい建物が建ったりしています。
さらに歩きます。
壁の跡とは、スタジアムのあたりで分かれ、 道の名はBernauer StraßeからEberswalder Straßeに変わります。 ここからは完全に旧東ベルリンのエリアです。
あまりに原色系のお店があったので一枚(笑)。
ASIA Marktって…アジアってそういうイメージなのかな?