Bernauer Straßeの「壁」(2)
タイムゾーン: +2H 日本との時差: -7H
ということで、Bernauer Straße沿いに保存された「壁」にやってきました。
道路の向かいには"MAUERCAFÉ"(壁カフェ)なんて暢気な店名のカフェまであります。
表面はかなり削られてしまっていますし(この面が西ベルリン側、裏が東ベルリン側)、 落書きも多いですね。
上の「(見えない)4.86」って落書きは1986年って意味かな? 下の黒い線の落書きは、むき出しになった鉄骨にも書かれているところを見ると、 新しい落書きっぽい。
ニコンF3での銀塩写真。まずは白黒で(フィルムはフジ・アクロス100)。
ここの壁の裏側には、いくつかの十字架が立っている。
ニコンF3でのカラー写真(フィルムはフジ・プロビア100F)
そして、少し進むと、道を挟んだ向かいにベルリンの壁資料館があります。 こちらは後ほど。
ここの壁は、削られた部分も補修され、落書きも消された、 半ば「生きている」状態でベルリンの壁が保存されています。
この「壁」の端のところには献花がされています。
GEDENKSTÄTTE BERLINER MAUER
IN ERINNERUNG AN DIE TEILUNG DER STADT
VOM 13, AUGUST 1961 BIS ZUM 9, NOVEMBER 1989
UND ZUM GEDENKEN
AN DIE OPFER KOMMUNISTISCHER GEWALTHERRSCHAFT(多分「1961年8月13日から1989年11月9日まで街を分断したベルリンの壁と、 共産主義の暴虐さの犠牲となった人々を記念して」という感じの訳でいいのかな?)
それにしてもこういう場所に平気で実名で落書きをする人の気が知れない (一時期日本でも問題になったけれども…)。
壁の「東側」をキャンバスとして公開しているイーストサイドギャラリーとは異なり、 ここでは壁の「東側」にあった付随施設まで復元保存して公開しています。 壁の「東側」には、もう一枚の壁があり、その両側がある程度の広さを持った空き地になっていて、 警備兵が行き来していました。
その一枚目の壁と、メインの壁との間には様々な警戒装置などが置かれていました。
かつてここは、恐ろしい場所だったのです。
ここの東側は墓地だったようです。 また、ここのすぐそばには教会がありました。 境界については後で書きます。
さて、向かいにある壁資料館。 ここの屋上から今の「壁」の部分を見下ろす事ができます。
復元された「壁」と、その向こうに見える旧東ベルリン中心部。
よく見ると、壁の残骸が少しこの近所にもまだ置いてあります。
さて、資料館に入ってみましょう。 このアングルから見ると、警備兵が利用した「壁」に並行して走る道が、 今では周辺住民の生活道路として再利用されている様子が分かると思います。
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