七つ墓はどうなる?

天気はよくなってきました。

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さて、那覇の街で昨年11月以降、気になっている場所があるのです。 それは「七つ墓」。 かつて長虹堤のそばにあった小さな丘です。 幽霊伝説の場所ともなっており、現在も墓地になっています。

琉球王朝時代の海中道路「長虹堤」 (かつて島であった那覇の街と首里方面とを結ぶ、現在の松山付近から崇元寺に至る1km以上の海中道路だったといわれる。1451年完成。以前これに関して触れた日記 → [1], [2], [3])の、 「周りより少し高くなった道路」という状態でほんのわずかに20mくらい残った部分のすぐ横にあるこの小さな丘は、 琉球貿易図屏風(現在、県立博物館で展示されています)でも見ることが出来ます。

琉球貿易図屏風(長虹堤部分を拡大)

葛飾北斎「琉球八景」の『長虹秋霽』に描かれた長虹堤(旧美栄橋)の後ろに見える松の生えた丘も、おそらくこの七つ墓でしょう。

葛飾北斎「琉球八景」-『長虹秋霽』

場所はゆいレール美栄橋駅のすぐそばであり、ホームからも緑の小さな丘としてすぐそばに見えます。 すぐそばには長虹堤に関する那覇市の史跡プレートもあります。

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この丘は、閉鎖になったダイエー那覇店のすぐそばにあり、 その近くの雑居ビルの建設時にその一部が削られてしまい、 不法投棄のゴミなども集まった謎の場所と化していました。 ところが昨年11月、沖縄に行った時にちょうどその雑居ビルが解体されていたのです。 今回行ったらすっかりそのビルは更地になっていました。

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そして、11月に行った時に気がついたのですが、 七つ墓の上にこのような看板が立っていたのです。

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「無縁墳墓等改葬公告」

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要するに「墓地整備のため」に無縁墳墓等の改葬をすることになったので、権利のある人は平成19年9月27日から1年以内に言ってこい、ということだそうです。連絡先が内地の会社(東京都と岡山県)なのもなんか気になる。

一応、異議申し立ての期限が来年9月なことと、 あくまで理由を「墓地整備」にしているということで関係ないとは思いますが、 隣のダイエー那覇店跡地がまだ再利用の予定も立たなそうな状態で、 万が一この取り壊した土地とダイエー那覇店跡をつなげて何か大規模な物を作るつもりだとすると、 この七つ墓は本当に無事なのかなぁ、と…ちょっと内地の人間ながら心配になります。

今、ふと気がついたのだけれども、「墓地整備」ではなく「基地整備」となっている…。 しかも句点はともかく、読点の位置がなんかおかしい(読点を入れる場所、という意味ではなく、 読点の形自体がおかしい)。 「基地整備のために無縁墳墓等について改葬することとなりましたので基地使用者等 死亡者の縁故者 および無縁墳墓等に関する権利を有する方は本公告掲載の翌日から一年以内にお申し出ください。 なお期日までお申し出のない場合は 無縁仏として改葬することになりますのでご承知ください。 平成十九年九月二十六日」とのこと。 もちろんこの辺に基地なんてない。墓地の間違いだろうが…。 なんでこんなに日本語が怪しいんだ? (2008/05/01 追記)

まあ、基本的にこういう開発というのは沖縄の人が決めることだから内地の人間がとやかく言うことじゃありませんけどね。もし数少なくなった「古い那覇」を残す物が消えて行くとするならちょっと残念だなぁ、と。杞憂であることを願っています。

そうは言っても、万が一失われてしまえばこれらの史跡は戻ってきません。 銀塩カメラでしっかり記録撮影させてもらいました。

今まで例の雑居ビルに隠されて見えなかった墓も、 雑居ビルがなくなったことで表に出てきた部分があります。 このお墓、以前は見えない場所にあったのですが、 そのためかガジュマルの根が一面に広がって、ものすごいことになっています。

この鋭角の切り込みが、かつて雑居ビルがあった場所。 なんでこんな豪快に切り取ってしまったのだろう…。 この土地の所有権とかはどうなっているのかな?

改葬予告の看板。こんな目立たない場所に…。

上の方を見ると、石造りの墓がやはりあるようです。 どんなお墓があるんだろう?

本当に、杞憂であればいいのですが…。 しかしこういう考え方と言うのは旅人のエゴとでも言うべきものなのかも知れませんね。 でも那覇はかつての史跡や町並みがほとんど戦火で失われていますから、 こういう古い史跡はどんな些細なものでも貴重だと思うんですが…。

ゆいレール美栄橋駅から見た七つ墓。その左の細い通りが、長虹堤がわずかに残った道筋。