2004 年 11 月 19 日 (金) 那覇

さて、旭橋で右に曲がり、国場川沿いに進みます。

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ゆいレール壷川駅横に、奥武山(おうのやま)方面へ渡れる歩行者専用橋があります。 実はこの辺りは、前回の「地味な史跡めぐり」で宿題となっていた、 葛飾北斎『琉球八景』の一つ『龍洞松濤』のモデルとなった場所と思われるのです。

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ということで、これが北斎の『龍洞松濤』です。 『琉球国志略』の白黒挿絵を元に想像で起こされた絵なので、 色が良く分からなかった北斎先生、ついに雪まで降らせてしまいました。

龍洞松濤

対岸の奥武山公園はかつて国場川河口に浮かぶ島でした。 明治時代の地図を元に解説した、『沖縄歴史地図 歴史編』(宮城 栄昌, 高宮 廣衞, 1983) によれば、 かつて奥武山には「龍洞寺」という寺があり、 それがこの『龍洞松濤』の元になっているそうです。

この辺りには実は史跡が多くあり、 歩行者専用橋の脇には古地図 (『沖縄歴史地図 歴史編』と同じ地図だ) を使った史跡解説の案内板が立っていました。 ここで解説されていたのは、三重城、屋良座森城、臨海寺、御物城、ガジャンビラ、 住吉神社です。 面白かったのはガジャンビラの解説。 中国から持ってきた、 ブンブンと歌う珍しい虫「ガジャン」(蚊)をここで逃がしてしまったので、 「ガジャン」(蚊)「ビラ」(坂)になったって……。 ……ほとんど今で言うならバイオテロじゃん (笑)。

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閑話休題。『沖縄歴史地図 歴史編』での昔の奥武山の地図はこんな感じ。 ほぼ中央に龍洞寺があります。

奥武山と龍洞寺

前回、現在の地図と大正 5 年の地図を重ねた結果が次の図でした。 このころには既に龍洞寺は存在しないため正確には分かりませんが、 どうも奥武山陸上競技場の辺りが、龍洞寺の位置ではないかという気がします。

奥武山比較

ということで、たぶんこの辺りの写真が、ほぼ絵に描かれた場所だと思われます。

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よく考えたら、壷川駅の上から撮れば良かったな…、ということで、 実は今回の旅の最終日に撮り直しました。それが次の写真です。 心なしか、後ろの山の形も似ているかも。

龍洞寺跡と思われる場所の現在

ちなみに、奥武山公園に渡ってみました。

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今でもこんな形で池が残っていたりします。 おそらくこの辺りが龍洞寺だったのでしょう。 今は護国神社がすぐそばにあります。

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さて、何となく寝不足なものの体は動く感じ。 せっかくだからコザの方に走ろうかな! ということで、国場川を再度渡り、那覇の街へ。

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『トックリキワタでガーブ川もきれい』に続く。


参考文献


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