首里城・京の内
さて、「テンペスト」を見ていると、 聞得大君(きこえおおきみ)の祈りの場所として出てくる首里城の京の内。よく考えたら行ったことなかったなぁ、 ということで、行ってみることにしました。
広福門をくぐり、奉神門の前にある広場、下之御庭(しちゃぬうなー)の中心にある首里森御嶽(すいむいうたき)。
その後ろにある石垣の奥が京の内です。
ここの中は首里城の復元時にどの程度昔の通りに復元されているかわからないのですが…。
中にはいくつもの拝所があります。
奥まで行くとかなり高いところから識名の方を見渡せる場所に来ます。 ここが「京の内のアザナ」です。 ここは(まだテレビではどうなるかわかりませんが)原作の「テンペスト」では、 聞得大君の最後の場所となったところですね。
ちなみに、手前には琉球の石橋に景観を似せて作られた金城ダムがあります。
Wikipedia "首里城"によると、
首里城は政治・軍事の拠点であるとともに、琉球有数の聖域でもある。以前は城内には十か所の御嶽があり、また首里城内郭の南側の大きな範囲を「京の内(けおのうち)」と呼ばれる聖域が占めていた。「京の内」は十か所の御嶽のうちの数か所と、鬱蒼とした大木の森や岩があるだけの場所だったが、この森こそが首里城発祥の地であり、首里城を国家の聖地とさせている重要な場所であった。聞得大君をはじめとする神女たちが京の内で祭祀を行っていたが、その祭祀の内容やはっきりとした京の内内部の様子はいまだによくわかっていない。現在ここで行われた祭祀の研究に基づき公開に向けての整備工事が進められている。
敷地内の御嶽等は単なる遺跡ではなく、現在に至るまで信仰の対象であった。琉球大学があった頃には、立ち入りが自由であったため、その構内のあちこちの拝所には常に線香やウチカビ(紙銭)が供えられ、主として女性の拝む姿がよく見られたものである。しかし、首里城の復元によって無断の立ち入りが禁止となってしまった。このため「首里城の建物は復活したが拝所としては破壊された」との声もある。
となっているけど、ということは最近までこのあたりは入れなかったのかな? (そしてWikipediaの記述も古い?)
もう一つ京の内には入り口があるようで、そちらから京の内を振り返るとこんな感じです。ぴったりと配置されたガジュマルの樹がいいですね。
ちなみに上の写真はHDRで撮影しているので、通常の撮影ではこんな風になってしまいます。 HDR素晴らしい。
こちらの口を下って行くと、奉神門のすぐ横に出てきました。 こんな道があったのか…。
さて、奉神門より先は一応有料エリアとなっています。
しかし、聞得大君、下之御庭、首里森御嶽、全部一発変換できるGoogle日本語変換は相変わらずすごいなぁ。続く。