『大丈夫であるように −Cocco 終らない旅−』を観て考えた事

ということで、Coccoさん誕生日の1月19日に、渋谷のライズXに、『大丈夫であるように −Cocco 終らない旅−』を観に行ってきた。

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この映画について語るのは重く、難しい。この映画を見てどんなことを考えるかというのは、人によってかなり違うのではないだろうか、と思う。

私は私で色んなことを考えた。映画とは直接の関係はなくなるかもしれないけれども、とりとめなく書いてもいいかな。あえて誤解を生じることを恐れずに率直に書こう。沖縄の人には怒られそうな事も書いてしまうと思うけど。

私は沖縄にかれこれ何度行ったか分からないけれども、そもそも通い始めたきっかけはCoccoの音楽だ。あの音楽を生んだ土地がどんな場所だか興味があった。今は沖縄に対して、当時持っていた沖縄のイメージとは全然違ったことを考えてはいるが、やっぱりあの島が大好きだ。

最近、沖縄について書いた内地の人間の書いた本を二冊読んだ。そのうちの一冊が、ある意味古典かもしれないが、岡本太郎「沖縄文化論 -忘れられた日本」だ。うちの近所に岡本太郎美術館があるのだけれども、そこのミュージアムショップで買ってきた。

そもそも、岡本太郎と沖縄との関わりについて意識したのは、沖縄県立博物館で見た、かつて岡本太郎の撮影した多くの白黒写真たちだった。その写真からは、なんとも言えない力と、この島への愛情がみなぎっていた(これらの写真は、残念ながら現在は古本でしか入手できない「岡本太郎の沖縄」という本にたくさん載っている)。

そんな岡本太郎が沖縄について何を考えていたのか、今まで読んだことがなかったので、ミュージアムショップで偶然見つけたその本を手に取ってみたのだった。そして、引き込まれた。

岡本太郎が初めて訪れたのは沖縄返還前。褒めているんだかけなしているんだかよくわからない文体で書かれる、大胆な取材(?)っぷりの中から、この島に岡本太郎が釘付けになっていく様子がよく分かる。

今の沖縄からはあまり想像できないが、当時はまだ、沖縄の文化というものが沖縄の人々自身からさえ軽視されていた時代だった。飲み屋に行っても泡盛はなく洋酒ばかり。だから、今の沖縄の文脈からこの当時の記述を解釈するのはなかなか難しい。

そんな中で、岡本太郎は、この島には形になったものには大したものはない、と言い切る。そして、本当に凄いのは、形になっていないものだ、と。

廃れかけている口伝えで伝わっていた歌(当時で廃れかけていたのだから、今は完全に廃れているだろう)に惹かれ、そして「御嶽」という存在に沖縄の文化の本質を見て、そこから日本の文化を振り返る。

失われつつあるもの。既に失われてしまったもの。

振り返って私は、沖縄のことが大好きだ、といいつつ、失われつつある沖縄の様々なものについて、ニュートラルな姿勢を続けている。

以前から気になっている那覇の七つ墓という史跡がある。私は大切な文化遺跡だと思うけれども、残念ながらニュースバリューはないので、誰からも保護しようなんて声はない。そして私は、これはもったいないと思い、私的に記録を残すようにしつつも、なくなるかも知れないこと自体に干渉しようとは思わない。

辺野古についても、泡瀬についても同様だ。そんなので沖縄が好きとか言うなよと言われたら、そうですね困りましたねという他ないのだけれども…。でも私には、どちらかの立場に肩入れするようなことは、やっぱりできない。

これらの事案に対しては、様々なものの考え方の人がいる。生活がかかっている人がいて、それでもやっぱり大切なものは守らなければならないという人もいて、さらにそこから少しずつ恩恵を受ける広い範囲の人々がいる。映画を見ていて、六ヶ所村と沖縄の類似点に触れられていて、まさにその通りだと思った。

沖縄には在日米軍基地の7割以上が集まっているとされる。これが数字のアヤであることを知る程度には沖縄に浸ってはいるが、それをさっ引いても尋常ではない量であり、それが沖縄の社会に及ぼしている影響は大きい。

一方で、内地の人間は、ごく一般的な平和教育やメディアの報道を素直に受けてしまった逆の影響か、「基地を押し付けられて大変な沖縄県」というイメージは持っていたとしても、何故沖縄に基地があるのか、ということに関しては、「俺には関係ないけど基地なんてない方がいいに決まってるじゃん」程度の認識しかない(まあもちろん、ない方がいいのは全くその通りなのだが)。

この意味では、誰もがある意味「加担している」ことが、誰の目にも明らかな六ヶ所村よりもややこしい。

そもそも内地の人間は、軍艦に乗って開国を要求しにきた米海軍のペリーが、那覇を基地として江戸を訪れていたことも知らない。まあそれ以前に、米西海岸・太平洋経由ではなく、米東海岸・喜望峰・香港経由で来たことも知らないだろう(ちなみにスエズ運河ができたのは明治に入ってからだ)。当時日本は、本当に「極東」だったのだ。

そして、ペリー艦隊の那覇滞在中に初の「米軍による婦女暴行事件」を起こしたことも知らないだろうし、その犯人が血の気の多い男達によって那覇港に浮かび、外交問題になりかけたことも知らないだろう。さらに江戸幕府が開国に応じなかった場合、沖縄を軍事占領するオプションを持っていた事も、この時に沖縄を勝手に測量した結果を、100年近く後の沖縄戦に活用したことも知らないだろう。私もかつては全く知らなかった。

アメリカは、昔から沖縄が欲しかったのだ。それは沖縄という島に価値があったからだし、この島の「キーストーン」としての価値こそが、かつての琉球王国の繁栄を支えていた。そしてそれにまつわる様々な問題も、150年前から変わらず存在していたのだ。

そういう文脈も、沖縄の米軍基地というものを見る時には必要なんだと思う。沖縄の価値がなくなれば、米軍基地も自然となくなるだろう。冷戦の終結とともに、アイスランドから米軍基地が消えたように。まあ、その後アイスランドがたどった運命を考えると色々不安だが、いずれにせよ沖縄の価値がある限り、米軍基地がなくなることはないだろうし、百歩譲って米軍基地がなくなったとしても、他の軍隊の基地ができるだけだろう。

さて、この映画で六ヶ所村や広島、そして沖縄などについて語られていたのと同じことは、普遍的に生じていると思う。

沖縄の人はみんなひめゆりの塔は知っている。内地の人もほとんど知っている。でも稚内の、海峡の向こうに樺太を望む山の上にある「九人の乙女の像」は知っているだろうか。私が行ったときは、9月はじめなのに気温18度の寒空の下で、誰も見に来ている人はいなかった。

沖縄は日本で唯一の地上戦が行われた場所だというが、それは正しくない。特に樺太・千島では凄惨な戦闘が、終戦後の8月15日以降もずっと続いたが、単に「現在その土地が日本領ではない、もしくは日本の行政権が及ばない」というだけのことだ。

多分、私が知らないもっと色々な事実が、日本中に溢れているんだろう。しかし、先ほど触れた那覇の七つ墓と同じく、メディアが報道するニュースバリューや、歴史を伝える人々の意図から外れたものは、風化して、消えていくのみだ。

映画の中でも「日本国内だけでもこんなに」と語られていたから、多分Coccoは分かっていると思うけれども、世界中に目を向けるともっといろんな、どうしようもない問題が転がっている。

たとえば米軍基地についても、政治家は安易に沖縄の米軍基地を国外移転、とか言うが、どうぞ代わりに地元の県にやってきてくれ、と言う人はほとんどいない。それをさせないのは、まさに選挙民である我々自身だ。そして、本当に国外に出してもいいのか、という議論はあまりに目立たない。

さらに、仮に国外に移転したとしても、その移転先にだって人が住んでいて、それぞれの文化を持って、みんな生活している。守るべき自然だってあるはずだ。移転してくれば、今の沖縄に起こっている問題が、その国に引っ越すだけだろう。

でも、私はその上で、Coccoが辺野古の移転問題に対して取っている姿は、正しいんだと思う。自分の生まれ育ち、そして住んでいる場所を愛して、自分のできることから行動することは、正しい。

そして、そのような願いはたいていかなわず、でも時に、少しずつ、何かを変えていけるのだと思う。

ジュゴンの見える丘で、「もののけ姫」の話題を話しながら語った、

「子供が見る世界がよい世界であるように」

という言葉に……そうだね、と思った。そういえば、リハ中にステージで遊ぶ息子さんの目はまさにキラキラしていた。

「歌うことしかできない」。そのことを知っていて、自分の出来ることから何かを変えていけたらと思っている、そういう真摯な姿が、必ずしも自分とは考えが同じとは言えないCoccoを、正しいと思える理由なのだと思う。

映画を見ていて、神戸で「バイバイパンプキンパイ」が生まれてから、少しずつ「みんなのうた」に育っていく姿が素敵だった。

形のあるものはなくなるかもしれない。形のないものにこそ価値がある。

内地の人の書いた沖縄の本で、最近読んだもう一冊は佐野眞一の「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」だ。

かなり分厚い大作であるこの本だが、あっという間に読んでしまった。そして、私は「これが、沖縄だ」と思った。この本は、暴力団、ビジネス、芸能の3本柱を中心に沖縄の戦後史を膨大な取材をもとにまとめた労作だ。

そしてその3本柱のどれについても、米軍や内地とのドロドロとした関係が影を落としている…というのが適当なのかどうか…むしろこれらのドロドロとした関係によって、エネルギッシュな沖縄の戦後史が作られているのだ。

米軍資材の密売、密航、密貿易、暴力団の抗争、怪しいビジネス、軍用地取引、「沖縄族」の政治家、利権、特例措置、補助金、ゼネコン、水商売…必ずしも明るい歴史ばかりではないが、一方でこのダイナミックな躍動感こそが、沖縄という島の持つしたたかさと、一つの魅力なのだと思う。

このCoccoの映画で語られたことも沖縄の真実だと思うし、一方でこの本で語られいていることも、そのもう一方の真実なのだと思う。

少なくとも今後数十年のスパンで考えた時に、沖縄の米軍基地がなくなることはあり得ず、さらに沖縄県が「島の面積を増やし続けていく」ことも避けられないだろう。この本を読むとさらにそれは確実なように思った。

しかし一方できっと、このCoccoの映画を見た人はまた、色々なことを考えるのだろう。私の考えた事、貴方の考えた事。多分全然違う。だが一つ確実な事は、何かを強く考えさせる力を持った映像だった、ということだ。

多分、辺野古や六ヶ所村について何らかの思い入れのある人は、もっと掘り下げて欲しい、と思った事だろう。だが、仮にそういう映画になっていたとしたら、それは単なる政治思想の宣伝映画になって、普遍性を失っていた事だろう。そんなことは、これを観た個々人が自分で考えて、自分で宣伝すればよい。

辺野古のリボンは何者かに焼かれ、Cocco自身は拒食症で入院し、泡瀬は土砂で埋められていく。みんな、簡単には解消できないジレンマを抱えつつ、それでも「生きていく」。沖縄も、この映画を見た観客たちも、自分の姿を少しずつ、変えていけるのだろうか?この映画はそれを考える触媒になれるのかも知れない、と私は思う。

…やはり映画自体の話はほとんど書けなかったかな…。でももう一回観にいきたいと思う。