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プラハの街中、ヴルタヴァ川の近く、今はアヴァンギャルドな「ダンシングビル」などが建っている近くにある「歴史の現場」を見てきました(この写真中央に「ダンシングビル」が見えています)。
聖シリルとメソディウス教会です。
第二次大戦に関して、イギリスはチェコに対していくつかの大きな過ちを犯しています。
まずはいうまでもなくズテーテン地方の割譲問題です。イギリス(とフランス)は国内の反戦世論を背景に、チェコのズテーテン地方の割譲を要求したナチス・ドイツと話し合いを行い、結局ヒトラーのいうがままに「これが最後の領土要求である」という言葉を重視してチェコ領土をの一部を勝手にナチスにプレゼントしました。その半年後にチェコの残りの領土もすべてナチスは併合し、さらに半年後にポーランドに侵攻、こうしてイギリスはドイツに宣戦布告し、第二次大戦が始まります。
そして、これほど有名ではありませんが、ハイドリッヒ暗殺事件という事件があります。チェコに進駐したドイツは、現地にヒトラーの腹心のラインハルト・ハイドリッヒという、ヴァンゼー会議でユダヤ人の「最終的解決」案を決定したときの議長でもあった人物を送り込みます。彼はチェコで粛正の嵐を吹き荒らしました。
ここでイギリス軍は、イギリスで訓練を受けた愛国チェコ人のゲリラ兵をチェコに送り込み、ハイドリッヒの暗殺を試みます。これが「エンスラポイド作戦」です。試みはなんとか成功しますが、裏切りから情報が漏れ、実行者は匿われていたプラハの教会で、最後の抵抗を行った後に全員死亡します。
ヒトラーはこの復讐として、「疑わしきは処刑」式に無差別の粛正を行い、さらに「その村の出身でイギリスに行って軍に入った者がいる」レベルの噂を根拠に、リディツェとレジャーキという無抵抗の村を完全に消滅させます(実際はもっと無差別にチェコ人の大量殺戮を行おうと計画しましたが、工業生産などへの影響を考慮して1万数千人にとどめました)。村の男性は全員その場で射殺、女性と子供は強制収容所送りとなり、そのほとんどは帰ってきませんでした。
いろいろ考えさせられる話です。ズテーテン地方の割譲問題は、実は今日本が台湾問題に対して取っている態度と大して変わりません。仮に台湾有事があったとして、平和を至上のものとして台湾を見捨てたら、次は沖縄が侵攻される番でしょう。ハイドリッヒ暗殺事件は、要人に対するテロリズムや、「一般大衆に被害のほとんどない戦争」が歴史を変えられるか、というジレンマを考えさせられます。
そしてハイドリッヒ暗殺事件の、プラハでの最後の戦闘が行われた現場が、この聖シリルとメソディウス教会なのです。
地下室に通じる窓のある、銃痕の残る壁には、今でも花が飾られています。
今はこの教会の地下は、ハイドリッヒ暗殺事件に関する資料館として公開されているようです(行くまで知らなかった…)。
暗殺現場や逃走経路を示す地図などの資料。
リディツェ村の破壊。
時系列を追った事件の詳しい解説などのパネルがありました。
地下室に入りました。元々は墓だったこの地下室、この天井の穴から出入りが行われたそうです。
先ほど外から見えた銃痕の残る壁を内側から見たところ。右下に残る穴は、地下の水路まであと数メートル、最後まであきらめずに穴を掘り続けた跡だそうです。
この穴の跡にも小さな十字架が添えられています。どんな気持ちでこの穴を掘ったのでしょう? おそらく、地下の水路にも当然人を配置していたでしょうに…。
その向かいの壁です。
ここから地下室の奥の方を見た全景。
地下室の奥には、ここで亡くなった者たちに捧げられたチェコ国旗色のリボン、花、碑、そしてそれらの解説などがあります。
祭壇の方に続く本来の階段…。
すごい場所でした…。