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ヴァーツラフ広場。
1980年代末から1990年代初めにかけての旧東欧圏とソビエトの崩壊は、私にとって政治や歴史を自分たちの生きている時代のリアルな現実としてはじめて感じさせてくれた出来事でした。
そしてこのチェコにおいてその「ビロード革命」の主な現場になったのがこのヴァーツラフ像のあるヴァーツラフ広場です。
ニュースの中にあった景色にはじめてやってきました。今ではすっかり資本主義にそまり、周囲には土産物屋や飲み屋、デパートなどが建ち並び、商品を大量に陳列して商売をしています。盛り場という感じで、治安も決してよいとは言えないでしょう。
でもやはり、この場所のこの活気に満ちた雰囲気こそが、あの時代の人々の選択なのでしょう。
大きな国立博物館の前に立つヴァーツラフ像の少し手前には、小さな慰霊碑があります。
ヤン・パラフとヤン・ザイーツの碑です。
1968年、後のソビエトでいえばペレストロイカのような画期的な改革開放政策を行いだしたチェコスロバキアに、危機感を覚えたソビエトは、ワルシャワ条約機構の軍隊を伴ってチェコスロバキアに侵攻します。これがいわゆる「プラハの春」事件です。
それ以前もベルリン争乱、ハンガリー動乱などでソビエトはワルシャワ条約機構国に介入の軍隊を送っていますが、秩序が混乱・崩壊状態に全く陥っていない国に、政治的な都合で軍隊を送ったのはこの事件が最初です。
ソビエトはドプチェク大統領をソビエトに連行、戦車を背景にチェコの改革は頓挫します。これに抗議して1969年1月19日、ヴァーツラフ広場、国立博物館前(後ろに見える立派な建物です)で焼身自殺をしたのが大学生ヤン・パラフです。そして同じ場所で翌月2月25日、ヤン・ザイーツという若者が同じ場所で再び焼身自殺します。
結局、この2人の抗議は実らず、チェコスロバキアはその後20年、厳格な社会主義国として存在することになります。
しかしその20年後、1989年、この場所が再び革命の象徴的な場所となったことは偶然ではないでしょう。
もう一つ、焼身自殺の現場にも碑があるのですが、それは後日…。
ヴァーツラフ広場を歩きます。
広場全体を振り返ります。
共和国広場に繋がる道もすっかりショッピングセンター化しています。
その一角に妙な看板が。"Museum of Communism"、共産主義博物館(なぜ英語?)。牙を剥いたマトリョーシカがまたなんとも素敵。
カジノと同じ建物にあって、向かいがI'm Lovin' itなマクドナルド。何てアレなロケーション、と思ったらロンリープラネットのガイドブックにも同じことが書いてあった(笑)。
中の展示はまじめだかぬるいんだかよく分からない感じ。
お、例の世界最大のスターリン像だ。
時代の彼方に去っていったオブジェたち。
少年団という感じ?
JZDってのは、チェコ版コルホーズ・ソフホーズという感じかな? 私が子供時代は地理で絶対に覚えさせられた単語だけど、今は世界史に鞍替えになった言葉かも?
よくわからないもの。
店に売っている商品が少ない当時のさまを表現しているらしい。
この電話ボックスはなに?
他にも謎の展示物がいろいろ。
そして、ビデオ上映室で1968年と1989年を中心としたチェコの現代史ビデオを見ました。1989年の映像では当時のニュースで何度も見た、変化への胎動に満ちた東欧の姿を久しぶりに見ました。
ヤン・パラフの記念日である1月19日、ワルシャワ条約機構軍の侵攻記念日である8月21日にここに集まって変化を求める人々の姿。
懐かしかったなぁ…。
1968年のプラハの春とその後の「正常化」に関するいろいろな展示も。
ベルリン争乱、ハンガリー動乱、この場所で起こったプラハの春、 そしてアフガニスタン戦争を経て静かに屋台骨が腐っていった共産主義という過去の歴史に思いをはせつつ、夜のヴァーツラフ広場まで歩きました。