2005 年 12 月 11 日 (日) 宮古島

さて、そのまま車は平良方面へ。

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途中でちょっと寄り道して久松方面に寄ります。

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久松五勇士の碑。日露戦争時、バルチック艦隊をいち早く発見し、 通信所のある石垣島まで手漕ぎ舟で一晩かけて知らせに行った、 五人の漁民の若者を讃える碑です。

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前回きたときはかなりあれていて、 解説する文章なども、風化して読めないようになっていたのですが、 どうも今年修復されたようで、文章も読めるようになっていて、 しかも新しい石碑まで建てられています。

ちょっと残念なのは、丘の下の「沖縄 宮古島 久松五勇士」という看板の、 「沖縄」の文字だけ青ペンキでつぶされていたこと。 どういう意図があってやっているのかわかりませんが (確かにいろんな方面からいろいろ思われるかもしれない場所ですから)、 何も地元の英雄の碑でそんなことしなくてもいいんじゃないかな、 と思いました。

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このあたりには、「久貝みゃーか」と「松原みゃーか」という古い石墓があります (ちなみに、「久貝 + 松原」で「久松」)。 前回きたときは松原みゃーかは発見できたのですが、松原みゃーかはわからなかったんだよね。

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あ… (笑)。

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おお、これか。久貝みゃーか。14〜16世紀のものだとか。 比較的新しい。

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こちらが松原みゃーか。 ちなみに宮古島は八重山とほぼ同時に、 琉球王国による侵攻の結果として併合された土地です。 14〜15世紀だとちょうどその頃ですね。

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さて、日が暮れる時間になってまた少し晴れました。 平良まで買いものなどに出かけましょう。 (夕食は今日もホテルで食べましょう)

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ということで平良の街を散歩しながらお買物など。

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宮古のお店って、中には内装には凝る店もあるんだけど、 いずれにせよほとんど外装には結構無頓着なところが面白い (まあ、沖縄県全般そういう印象あるけど、特に宮古ではそういう印象が強い)。 前に入居していた店の看板とか、上にペンキ塗っただけで再利用するので、 普通に透けて見えたり斜めから見ると反射でわかったりする。 あるいはそのまま上に新しい看板貼ってあるだけとか、そういうのもある。 内装がおしゃれな店でも例外ではない。こんな感じ。

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まあ、そこが独特の味だったりしていいんだけど〜。


『夕食は洋食系で』に続く。


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