2005 年 9 月 24 日 (土) 那覇

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ラブ オーシュリ, 上原 正稔『青い目が見た「大琉球」』

(大型本, 2000-06)

琉球王朝末期、琉球の島々に出会った西洋人たちの残した、 貴重な図版を豊富に集め、美しく印刷した本です。 圧巻です。かなりお勧め。


那覇、泊の外人墓地。あまり観光地として有名な場所ではありませんね。

元は唐人墓でしたが、琉球王国末期から西洋人の訪問が増え (というより、西洋人の影響が琉球王国が衰亡した遠因ですが…) 西洋人が多く葬られるようになりました。 戦後はこの地に眠ることを選択した、 ベトナム戦争や朝鮮戦争で戦死した在日米軍の兵士も多く眠っています。

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そしてここはペリー提督の上陸の地でもあり、 150 年間の日米関係が始まった土地でもあります。

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この時間、結構思っていたより人は来ていたのですが (10 人くらい)、 ほとんど米軍基地関係者と思しき感じの人が多かったですね。 基地の ID カードみたいなものをつけている人もいました。

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バジル・ホールの『朝鮮・琉球航海記 〜 1816 年アマースト使節団とともに』では、 病死した隊員が丁重に葬られた件が書かれていますが、 その場所もこの外人墓地です。

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その様子は航海記の美しい挿絵で残されています (ラブ オーシュリ 他『青い目が見た「大琉球」』より)。 美しい石造りの泊高橋を奥にみて、安里川のほとりに墓が作られています。 1818 年発行の航海記ですが、かつてはこんな場所だったんですね。

バジル・ホール航海記の泊外人墓地

ただし、このあたりも戦争で尽く破壊されたのか、 現存する墓のほとんどが戦後の墓のようです。 一部、何も情報が書いていない謎のお墓もありますが…。

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さて、一度 58 号に戻り、そこから若狭方面に出ます。 ホウオウボクの本格シーズンとは少しずれているけれども、 まだ所々に少し花が残っているようです。赤い花がきれい。

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さて、久々に波上宮の方へ行ってみましょう。

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『朝のお散歩(4): 波上宮・朝食』に続く。


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