2004 年 10 月 24 日 (日) 嘉手納

嘉手納ロータリーを左に行き、サンパウロの丘こと安保の見える丘の方に進みます。

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右側は嘉手納基地が続きます。

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サンパウロの丘の前には、道の駅があります。…あれ、こんなもの前あったっけな? 新しそうな建物なので、最近出来たのかもしれません。 ここの 4 階からも嘉手納基地が望めるそうです。 まあ、丘の方はいつ崩されるか分かりませんからね… (実際、9-11 後のゴタゴタで崩そうという話があったはず)。

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さて、丘に登りましょう。

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登りました。今日は休日なので飛行機の出入りは少ないです。

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ここに来るといろいろなことを考えるのですが、 いろいろと沖縄の歴史の本を読んだ後ではさらに考えさせられます。 この場所から米軍がいなくなったところで、 その後で自衛隊が入るのでなければ沖縄や日本本土の安全保障は維持できないでしょう。 その場合であっても、 日本の防衛費はどうするのかという問題と、 台湾の安全保障はどうするのかという問題が残ります。 羽田空港の倍の面積を持つこの嘉手納基地の背後には、 さらにその倍の面積を持つ弾薬貯蔵エリアがあり、 それがこの島を世界有数の難攻不落の要塞にしている「力」ですが、 それを自衛隊が維持・運営するにはどれだけの費用が必要でしょう?

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かつて、資源小国であった琉球は、 周囲の国や関係した国に対して、その存在価値を提供し続けることで、 王国の存在を維持してきました。 そして時代の変化に対応した変革をすることに失敗し、本格的に崩壊しました。 その歴史は戦後の日本の姿と重なる点が非常に多く、 考えさせられるところがとても多いです。 そして今は、アメリカには戦略上の重要拠点を、日本内地と台湾には安全保障を、 そしてその他の国には、 米軍依存体制を維持させることで「日本軍」の本格再編を抑えるという、 様々な価値を提供し続けて存在しているとも言えるでしょう。

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最近、「沖縄県」の石油資源が話題になっています。 これを自立のチャンスと喜ぶ向きもあるようですが、 その安全保障はどうするのでしょうか? 現在の米軍の経済効果と日本政府の補助に依存した状態から一気に脱却するチャンスでもありますが、 同時に安全保障上の更なるリスクを背負う選択でもあります。 再びこの島が戦場となることがないように、祈るのみです。

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たぶん、この丘を設置した人が考えて欲しいと思ったこととは、 だいぶ違うことを考えているような気がしてきましたが…。 あ、一機だけ飛行機が飛んでいきました。

(動画 956kbytes)

延々と続く嘉手納基地の壁。

(動画 4.30Mbytes) [image]

さて、北谷市に入ります。

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『那覇に戻ってきました』に続く。


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