(DVD, 2001-06-21)
とても良くできた日露戦争の映画ですが、
宮古島の久松五勇士の話もサイドストーリーとして入っています。
泣かせる…。
日露戦争がどういう意味を日本に対して持っていたかが良くわかります。
三船、渋い…。
1969年東宝作品。
さて、だいぶ戻ってきました。全速力で走るのも気持いい!
平良に行く直前で、左に曲がることにしました。 久松の方に行くためです。 久松は「久貝」「松原」の集落を 2 つ統合して出来た名前だそうですが、 そんな悪名高い板橋区小茂根のような地名のネーミングを…。
久松の街の中にある「久松みゃーか」という巨石墓群。 こちらは「久貝ぶさぎ」。 昔の宮古島の偉い人の墓らしい。 うーむ、不思議な場所だ。
こちらが「久松五勇士顕彰の碑」。「久松五勇士」はこんなエピソードです。 日露戦争のクライマックスである日本海海戦において、 バルチック艦隊がどこから現れるかがわからないでいたところ、 宮古島東方で敵艦を発見したという情報が宮古島に入りました。
大本営に連絡を取りたいが、電信局は石垣島にしかない。 そこで、久貝、松原の漁師 5 人が荒れる海の中、 石垣島まで小舟を漕いで 170km の海路をわずか 15 時間で走破、 その後陸路を 5 時間かけて電信局から電報を発信しました。
しかし、実際はこの電報が届く 1 時間前に、 信濃丸から「敵艦見ゆ」の一報が入っており、当時はあまり注目されませんでした。 昭和に入って教科書で紹介され一躍時の人になったということ。。
碑は久松の港を見下ろす高台にあります。
この小舟で 170km か…。すごいな…。
碑の文章、かすれていてちょっと読めない…。
英語版の訳文の方が読めるかも。
今回の旅行のページを書くにいたって、 今まで曖昧な知識しか持っていなかった琉球王国の歴史をじっくり勉強してみました。 琉球王国の成立、薩摩の侵攻、琉球処分、沖縄県の成立に至る歴史は、 一つの王国の興亡の歴史としてとてもドラマチックです。
明治の沖縄県人にはもしかするといろいろな感情があったかも知れないけれども、 それでも新しく生まれ変わった国の存亡の危機に、 辺境の漁師たちが命をかけて行動したというのは、 今聞いても感動的な話だと思います。