(大型本, 2000-06)
琉球王朝末期、琉球の島々に出会った西洋人たちの残した、 貴重な図版を豊富に集め、美しく印刷した本です。 圧巻です。かなりお勧め。
ベイジル・ホール『朝鮮・琉球航海記―1816年アマースト使節団とともに (岩波文庫 青 439-1)』
(文庫, 1986-07-16)
まだ近代文明の手と地上戦の戦火が入る前の美しい琉球の姿と、 エキゾチックな水上都市である当時の那覇の姿、 そして今と変わらない琉球人たちの姿を描いた、 西洋人による 18 世紀の琉球王国の記録。とても面白い。
さて、昨日は疲れて早々に寝てしまいました (前日までもエグかったからな〜)。 朝は気持いい目覚め。 朝飯つきだったのでホテルの朝食。 相変わらずどことなく微妙に沖縄っぽい (笑) ホテルの朝食です。
ちょっと外に出ましょう。旭橋駅からバスターミナルに。
久茂地川を渡ります。
渡ったらすぐにあるバスターミナル。
昨日は暗かったので、もう一度仲島の大石を見に行きましょう。ちなみに、地図はこちら (Yahoo! Maps)。
うーん、本当にバスターミナルの隅に追いやられてますね。
さて、もう一度葛飾北斎『琉球八景』中の『中島蕉園』を貼ってみましょう。
この中央の岩がこの仲島の大石らしいのですが、本当でしょうか?
これだけではわからないですよね〜。 この絵と同じ方向からと思われるアングルで見てみましょう。
…やっぱりわからないよ。自信持っては言えないよ…。 と思ったのですが、もう一つ絵がありました。上原 正稔, Rob Oechsle, 照屋 善彦『青い目が見た「大琉球」』に収録されている、 "Frank Leslies Illustrated Newspaper (New York) Vol.1 #20" (April 26, 1856) もしくは "#20 (May 10, 1856)", "Vol.5 #119 (March 13, 1858)" に載っているらしい、 次の絵です。
ほぼ同じアングルと思われる画像と比較してみましょう。 ……さすが、これは同じ岩としか言いようがありませんね。 それにしても、 現在の姿からは当時のこの危うくも神々しくもある姿はあまり想像できません。 それと同時に、ここが当時 (1850 年代) の海岸線であったことも知ることができます。
さて、現在ではこの岩には祠や碑 (?) などがあり、 バスターミナルの一角にちょっと面白い空間を作っています。
…って、結局北斎の絵はこの岩だったのでしょうか? この答えも例の絵のなかにありました。 岩の下の水際の形に注目です。 北斎の絵を向かって右側から見たアングルで想像してみると…やはり同じですね。 ということで、やはり北斎の絵もこの岩を描いたもので間違いはなさそうです。
うーむ、今まで何度も何となく横を通りすぎていたこの仲島の大石にも、 いろいろと歴史が隠れているのですね。
ということで、 ちょっと妄想入った感じでほぼ完全に同じアングルの写真と合成してみました。 今は地中に埋もれてしまった、かつての那覇の海岸の姿を想像できるかな? ちなみにこの辺りが埋め立てられてしまったのは明治時代だそうです。
東京もそうですが、 かつての海岸線が埋め立てで消えてしまうのは仕方がないとはいえ悲しいものですね。 沖縄の美しい海を見ると特にそう思います。
ところでこれって一部崩落した破片でしょうか?
さて、そろそろ宮古に出発しましょう。ホテルをチェックアウトしますかね…。