只今読書中の本は、『朝鮮・琉球航海記 〜 1816 年アマースト使節団とともに』(岩波文庫)です。 メチャクチャ面白い。 なぜこの本を手にとることになったかについては、 いろいろと長いいきさつがあるのですが、 あと何冊か本を読んだら一気にまとめる予定です。 この本、1816 年に琉球にやってきた英国人の航海記であり、 タイトルは朝鮮・琉球となっていますが、記述のほとんどは琉球です。 李氏朝鮮における両班様とのくだりも面白いのですが、 さっさと追い出されてしまうので朝鮮編はすぐに終わってしまいます。
もちろん帝国主義植民地化の進む時代の英国人の記録ですから、 人種的偏見と帝国主義的視点はありますし、 琉球の人々の対応にもその辺りの情勢への警戒が見えるのですが、 そういう過去の価値観の問題をさっ引いて考えると、 かなり 19 世紀はじめの琉球の姿が好意的に書かれているといえるでしょう。
そして、そこに生き生きと見えるのは、 まだ近代文明の手と地上戦の戦火が入る前の美しい琉球の姿と、 エキゾチックな水上都市である当時の那覇の姿、 そして今と変わらない琉球人たちの姿です。 地元民には常識なのかも知れませんが、私は知りませんでした。 那覇のバスステーションの前にあるあの岩は、 そのころ海から突き出た岩だったのです。 そして那覇という街の中心は、完全に本島と切り放され、 現在の崇元寺橋から松山交差点辺りまで続く長い海中道路で繋がれた、 島の中の街だったのです。 奥武山公園は海に浮かぶもう一つの島で、 那覇空港の辺りは鋭く突き出た岬だったのです。
ところで、台湾に「小琉球」という地名があることは知っていたのですが、 実は沖縄本島のことを「大琉球」、 台湾のことを「小琉球」と呼んでいたことがあるとこの本に書いてありましたが、 本当なのでしょうか? この本では、沖縄本島のことは大琉球島と呼ばれています。
そういえば、識名園の豊見城方面を見渡す海が見えない展望台って、 実は中国の冊封の使節が来たときに、 「琉球は広い島だから重要なんだ」、 と思わせるためにああいう場所に展望台を作った、 という涙ぐましい話がありましたが、 英国の船に対しては、本島を一周して回ってきて大きな島だ、と言ったのに、 いやここは小さな島なんだ、と琉球人が言い張るというくだりがあります。 なかなか当時の社会情勢は難しかったんだろうな、と思いました。
この話題はあとでまとめて…。