2003 年 11 月 8 日 (土) 沖縄

首里城方面に向かいます。沖縄の太陽らしくなってきたなぁ。 前回来たときは自転車で来て守札門の前に届いたところでヘトヘトになっていたし、 前々回来たときは曇っていたからね。

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弁財天堂は今日も静かにたたずんでいます。

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木々からこぼれる陽の光が綺麗。

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龍潭も落ち着いた雰囲気です。外国人家族が遊びに来ていましたが、 在日米軍の人でしょうか。

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実はこの近辺の芝生の奥の茂みの中には、沖縄戦の戦跡がたくさん集まっています。 首里城近辺には軍事施設が集まっていたため、 沖縄戦における激戦地になりました。 ここは旧第三十二軍合同無線通信所跡。

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少し右に行くとこちらも戦跡ですね。 静かに手を合わせます。 この犠牲の上に今の日本人は生きているということを忘れるべきではありません。 少し歴史の歯車が狂っていれば、 東京も同じ運命になっていました。 いくら妙な左派マスコミが沖縄を「大好き」の連中で騒ぐからと言って、 この地に刻まれた歴史の真実を忘れてはいけません。

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生命力にあふれる沖縄の木々は、人間の営みを静かに包んでいきます。

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さて、守札門が見えてきました。 まあ、こっちからだと門の内側から近づくことになるんですけどね。

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てなことで守札門。

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せっかくのいい天気なので、中に入りましょう。

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漏刻門の前から、綺麗な沖縄の海が遠くに見えます。

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ちょっとパノラマ風。

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ここから先は有料です (笑)。

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さて、首里城の中央にやってきました。 おお、絵はがきみたい。

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明らかな中国文化の圏内にいながら、それでいて日本文化の影響も強い、 遥か昔からチャンプルー文化が息づいていたんだな〜、と。思います。

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城内です。

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庭に向かった扉の内側にある拝謁スペース (って言えばいいのか?)。

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そばのすきまから広場が見えます。 資料館では、冊封の儀式での広場の使われ方など、 中華文化圏の周縁としての琉球を示す資料もみることができます。

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まさにそれを象徴する印。 清朝による琉球国王の印。 右は漢字ですが、左は満州文字 (清朝で使われた文字) ですね (ひそかにちょっとカッコいいデザインだと思う)。 世界史には詳しくないですが、清って女真族の国でしたっけ。 っと…Google してみると、そうか、女真族が実権を握ることで、 「女真」という名前は「満州」という名前に改められ、 満州文字と漢語が公文書には用いられたと。なるほど (余談だけど、「満州」という言葉は現在の中国ではいろいろと複雑な意味を持つようだ。 このページ「満州どよよん紀行」、面白かった。 左寄りの方には刺激が強いかと思うので、あまりお勧めしませんが…)。

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18 世紀に清朝から与えられた琉球国王印には漢字だけだけどね。 どうも清朝後半には満州文字は廃れたらしい。

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どうでもいいが、首里城 3 階は風通しなどのための空間らしいが、 ここへ通じる階段の勾配の急さは生半可ではない。 階段と言うより、これは梯子だろう…。

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さて、正殿の外に出ました。

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もう少し首里近辺を散歩しましょう。何しろ目標は歩くことですので。

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『石畳近辺を散歩』に続く。


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