2003 年 8 月 31 日 (日) 自宅

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加古隆『NHK DVD-BOX 「映像の世紀」全11集』

(DVD, 2000-12-21)

今まで見たテレビ番組の最高傑作を挙げてくれと言われれば、 未だに迷わずこれを挙げるでしょう。 動く映像で見る21世紀の歴史です。
希望のなかで始まった新世紀。 第一次大戦によってわずか数年で確立する近代戦というスタイル。 ファシズムの誕生と市民大量虐殺。 核兵器の誕生。 冷戦の始まりと終わり。 民族紛争の拡大…。
21世紀が始まった今こそ、 前世紀の歴史の復習という意味でも、 ぜひ見たことのない方は見てほしい番組です。 私は今でもたまにこのDVDを引っ張り出して見ています。


さて、今日は仕事で午前様。 ということで、本日放送だった BS 版『昭和の戦争と平和』を見るか、 と思ったら…。 間違えて同じ時間の NHK 総合を予約して撮ってしまった…。 うう…、ビデオに関しては久しぶりの不覚でした。 ということで、この番組について書くつもりだったのですが、 BS 版を見られなかったので、NHK 総合版 (長さ半分のダイジェスト版) を見て、 書いてみようと思います。 NHK の方、ぜひぜひ DVD を出してください。お願いします。

というわけで、この『昭和の戦争と平和』という番組ですが、 ドキュメンタリー番組として想像を遥かに越えた力作で、 私としては『映像の世紀』以来の衝撃を受けた番組だったと言えます。

内容は、最近発見された戦前の日本をとらえたカラー映像 (コンピュータを用いた修復が可能となり、 当時の色が再現できるようになったようです)を用いて、 昭和初期の平和から戦争へ、 そして再び平和へと向かう姿を放送するというものですが、 ただこれだけだと普通の終戦記念日番組のように思えるのですが、 この「カラー映像」というものの力は、とにかくものすごいものでした。

今まで、戦前の日本の姿を伝える番組ではそのほとんどが汚れた白黒画像であり、 時には手抜きで秒あたりのコマ数まで変えたまま放送されることすら多くありました (『映像の世紀』でも日本の戦前のカラー映像はいくつかありましたが、 これほどの量が一気に見られることは今までありませんでした)。

その白黒でチリチリと埃が乗った画面に写し出される世界は、 どこか別の世界の映像のようであり、 そしてそこに軍国主義を象徴するような映像が流れれば、 それは今の日本とは全く異なる世界の出来事のように映っていました。 私は、そういうイメージで戦前を眺めていましたし、 戦後に生まれた多くの人はおそらく同じような感触を持っていたでしょう。

ところが、この日に見た戦前の日本は違ったのです。 番組は昭和はじめの横浜港に入港するアメリカ人旅行者撮影の映像で始まります。 青い東京湾、大桟橋、街を歩く人々の姿 (元町あたりかな?)、 それは確かに、建物や人々の服装こそ全く違うものの、 それでも「いつも見慣れた横浜」の姿そのものだったのです。

そして、どことなく懐かしいような町並み、 美しい和服の女性、 青空に映える桜の花、 今とどことなく通じるものがありそうな東京の繁華街、 そして今と全く変わらない子供の笑顔。 そこにあったのは、 あまりに美しく、 そして現在のどんな外国よりもおそらくもっとも親しみの持てる、 一瞬でその世界に同化できそうな、 まさに「日本そのもの」の世界でした。 私の記憶にほのかに残る、 昭和 40 年代半ばの東京の町並みと、あまり違うように思えません。

こんな同じ町並みを作り、同じものを美しいと思う人々が、 我々と違った人間であるはずがありません。 かつて歴史を学んだとき、 あたかも戦前の日本人は、 今と全く違う判断基準を持つ軍国主義に染まった人々であるように感じましたが、 それが単なる欺瞞であったことはこれを見るだけで明らかです。

その彼等が築いてきた美しい街が、戦争で破壊されていくのです。 私ははじめて、アフガニスタンの映像でもイラクの映像でも今一つ実感できなかった、 「自分の街が戦争で焼け野原になった」という人々の気持が、 まさに自分のものとして理解できるように思いました。

私は、日本があの戦争 (「太平洋戦争」という言葉は、 対米戦争のみに問題を限定するように思えるので使いません。 あえていうなら「大東亜戦争」の方がより適当でしょう) に突入したことを完全否定するものではありません。 しかし少なくとも、その途中からは省庁間の権力争いと国民の傲りによって、 戦うべきではない戦いをし、 そして退くべきところで退かなかったたことは認めるべきであると思います。 戦前の日本は、仮にも選挙があり、報道のある民主主義国家でした。 それは独裁者を持ったイラクや北朝鮮よりも、 さらに国民の責任が厳しく問われてしかるべきです。 そしてアメリカやイギリスなどの諸国が、 自国の国益を守るために日本を戦争に追い込んだことも理解します。 肯定はしませんが。

しかしそうであっても、 カラーで見せられた戦争の現実というのは、 あまりに感情に訴えてくるものでした。 ベトナム戦争のカラー映像は何度も見ていますが、 衝撃的ではあっても所詮は外国の映像でした。 しかし、本当に見慣れた普通の日本の風景で暮らしている普通の民間人に対して、 あたかもバッファロー狩りのように飛行機からの機銃掃射を加えるシーンだけは、 どうしても正視できませんでした。 ガンカメラの視点の移動はごまかせません。 間違いなくあの機銃掃射の背後にあった感情は戦争ではなく、狩りそのものでした。

沖縄戦の映像は、 いくつかは以前に『映像の世紀』や沖縄の平和祈念館で見たものもありましたが、 先述の機銃掃射の映像と沖縄の火焔放射機の映像を一緒に見ると、 本当に背筋が凍るような衝撃でした。 そしてこの沖縄戦、原爆投下と続き、日本は降伏します。 この辺りには、歴史的にはたぶん正しくても、 人間として書けないことが多すぎるのであまり書きたくありません。

ただ、沖縄戦で自決した大田司令官が残した 「…沖縄県民かく戦えり、県民に対し、後世特別のご高配を…」の電文が出てきたのにはちょっと驚きました。 いろいろな意味で考えなければならない言葉だと思います。 まあ、思うところはいろいろありますが、ここでは触れないことにします。

マッカーサーは敗戦国日本に到着し、まずは横浜に向かいます。 それは、番組の最初に流れた美しい横浜の街が、完全な焼け野原と化した姿でした。 この焼け野原を、 自分の爺さん婆さんの世代で生き残った人々が必死になって、 今の日本を作ったのだな、と、あらためて尊敬の念を深くしました。 私の爺さんは二人とも出征して亡くなっていて、 もはや自分が爺さんたちの歳は通り越してしまいましたが…。

ということで、ぜひ DVD 化を望みます。 このご時世、日本人はあの戦争とその後の平和を、 もう一度「今に連なる事実」として確認する必要があると思います。 もしあの時代に自分が生きたら何ができたか、何をしたのか、 異世界の戦争物語ではなく、 自分の問題としてあの戦争をとらえ直す必要があるのではないかと考えます。

ものすごい苦労をしたことがしのばれる裏方のスタッフ達に対しては、 惜しみない拍手を送りたいと思います。 『映像の世紀』とともに、ぜひ若い人に見てほしい。


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