タイムゾーン: -5H 日本との時差: -14H
ということで、ピア 17 のチケットセンターを発見しました。 ここで世界貿易センタービル跡である、 グラウンド・ゼロの「Viewing Platform」の整理券を配っています。 やはり歴史を動かした場所は、まだ存在するうちに見ておきたい、と思います。
私のチケットは 16:00〜16:30 まで。少し間があるので、 WTC 跡の周辺を歩いてみることにしました。
ピア 17 からフルトン通りを通ってマンハッタンを横切り、 ブロードウェイの交差するセントポール教会横が、 Viewing Platform の入り口です。
セントポール教会の周囲は、寄せ書き等で埋まっています。
これは教会前の周辺案内地図。
日本からも千羽鶴がたくさん贈られていました。 通りすがりの人が、 「これは紙一枚から折った日本の鶴なんだよ」、 とか連れの人に解説しているのを二度くらい聞きました。
セントポール教会の右を WTC 跡に向かって進みます。 教会の裏は墓地になっているんですね。
教会裏の、かつて WTC が面していたチャーチ通りに出ました。
墓地には、衝撃で倒れた木がそのまま残っています。 ちょうど墓地の奥で、ニュースキャスターが何か喋っていました。
危うく難を逃れた WTC 隣のビルは、なんとか営業を再開しており、 その隣ではタンクローリーが大量のコンクリートを運んでいます。 隣の地下鉄入り口も一応機能しているようです。
周囲には面や角を剥がれ、壊れかけたビルが修復中です。
先日、ニュースで WTC 隣のデパートが営業を再開したという話を TV で見たのですが、 ここです。 "Century 21" という皮肉な名前なのですが…。 中に入ると、本当に全く普通に営業しています。
ふと、工事現場が見えました。 もうだいぶ片付いてしまっているようですが、 クレーターのように跡が残っていることがここからでも分かります。 ワールドファイナンシャルセンターもボロボロに傷付いています。
工事現場の中から大きな何かの部品のようなものを運び出すトラックを見ていたら…、 その向こうにあの「WTC 跡に残った鉄骨の十字架」と思われるものが置いてありました。
赤十字による募金の広報です。
16:00 の順番が来たので、Viewing Platform に入場します。
二つの塔の記憶。
Viewing Platform 先端には、警官の誘導で 2, 30 人ごとに入ることができます。
よく見ると、Viewing Platform 横の木にはブラインド、電線、布など、 WTC から落ちてきたものがそのまま残っています。
Viewing Platoform からグラウンド・ゼロを見ました。 5000 人を飲み込んだ穴は、まだ残骸を大きく残していました。 おそらく今年中には片付いてしまい、 その後は何らかの再開発をされることになるのでしょうが、 それでもここは、20 世紀前半の歴史を作ったサラエボ、 20 世紀後半の歴史を作った広島、長崎と同じく、 一つの歴史の始まりの場所として、まさにグラウンド・ゼロとなるのでしょう。
ワールドファイナンシャルセンターのウィンター・ガーデン跡です。
グラウンド・ゼロ全景です。
これだけのプレハブがあるというのは、 やはり泊まり込みで作業しているのでしょうか? 多くの人が修復に向けて働いているのでしょう。 こういう姿を見ると、何か目頭が熱くなってきます。
ここの横の木にも、よく見るとビニールなどがたくさん引っ掛かっています。
案内の警官の方から、そろそろ時間だ、とのことなので、 ここを去ることにします。
帰り道に置いてある、 「摩天楼の頂点の、名もないアメリカの英雄たちの昼食」の像です。
グラウンド・ゼロ・メモリアル。 飛行機の乗客と WTC 犠牲者の名前が連なっています。
そして日常の風景へ…。
この後、部屋に帰ると、疲れてそのまま翌日まで寝てしまいました…。